ご挨拶


私の父は戦時中、母は戦後間もない頃に生まれています。

父は茨城県の超ド田舎で生まれ育ちました。稲作、畑作、酪農農家で、見渡す限り敷地のような大きな家でした。出産の時は、地区担当の産婆を呼んで見てもらっていたようでしたが、間に合ったり、間に合わなかったり。

祖母が40歳を超えて父は生まれました。昭和18年の事です。戦時中でもあり、母乳があまり出なかったようで、お米のとぎ汁に牛乳を混ぜて沸かしたものを飲んでいたと、叔母から教えてもらいました。10代半ばで肺結核にかかったものの、9カ月に及ぶペニシリン投与で、当時としては奇跡的に生還しました。今では人工弁も使用していますが、基本的には元気に暮らしています。

母は戦後、まだ日本がGHQの統治下の真っ最中に横須賀で生まれています。もともと実家は両国にあったのですが、『空襲があるかもしれない』と言われはじめたころに、一家で横須賀へ疎開し、奇跡的に戦禍を逃れたようでした。その後はとても貧しい暮らしだったようで、テレビは近所の家で肩を寄せ合って視聴し、お風呂は銭湯通い。海で遊び育ち、視力は驚異の2.0でした。

父や母の話を聞いていたせいか、高校の頃から、日本の昔の生活が分かるような書籍を好んで読んでいました。

どの本か忘れましたが、ジェンダー系の書籍で、昔、炭鉱の女性が坑道の奥で出産し、地上に戻るという体験談も読みました。

『人は、想像をはるかに超えて、逞しい能力がある』

妊娠、出産、育児の現場では、誰もが持っている神秘性が発揮されます。その神秘性を大切に、お手伝いいたします。

皆様の妊娠、出産、育児の伴走者として、お手伝いさせていただければ光栄です。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

水野 尚子